マイホームや子育てや、慣れない東京のことなどなど


by anjelo2454
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死にかけた出産

昨日のブログで思い出しました。そういえばやばかったんですよね~出産。
そのときの話を少し・・・

仕事が楽しかったので、結局出産予定日の3週間前まで仕事を続けた私はマタニティライフをパパのそばでは過ごせませんでした。妊婦中ってけっこう・・・いやかなり色んな事がイライラして電話でパパに当り散らしてました。離れていたし、不安もあったし、自分の体の変化も共感できるパパもそばに居ないしけっこう不安なものでした。新婚生活も味わえなかったし。
自分が選んだ事だから仕方なかったけど、退職してからようやくパパと一緒に居られる時間が出来きて、予定日ギリギリまでは香川で過ごそうと退職してすぐ引越しの荷物をして香川に移った。出産してからの引越しもキツイと思ったから妊婦のうちに頑張った。

香川に移って1週間目の土曜日。予定日2週間前。月曜日は高知日赤で検診があるから日曜日には高知に帰る予定でしたが、土曜の夜に少し出血。いよいよって言うときにおしるしっていう出血があるって読んだことがあるからきっとそれだと思ってました。おしるしがあってすぐ陣痛って言う場合や、2,3日かかる場合もあるって聞いてたし、私は姉や母に『少し出血があったけど、もう夜中だし・・・』今すぐ帰るべきか、日曜日に帰るべきか迷ってました。でも母が(母は看護婦です)『何があるかわからんし、高松で産み落としたくなかったら早く帰って来い!』って言うから、のんびり帰省準備をしてました。運が悪いことに、土曜日というのにパパは珍しくお仕事で、しかも仕方ないのですがビールを一杯飲んでたんです。
もちろん運転してもらえるわけもなく・・・そうこうしているうちに下腹が痛くなってきました。出血も増えてきたようで・・・。

結局出発する頃にはかなりの激痛に変わっていて、陣痛なんじゃないかと思って間隔をはかっても2分!?とか1分とか。わけがわかんなくて、いそいで運転して帰りました。でも痛みがひどくて、ココだけの話。豊浜PAでパパが運転を変わってくれました。パパはずっと変われって隣で怒鳴ってましたが、だって。。飲酒じゃん?危ないじゃん?でもとうとうギブアップ。
で、長く続く高知道のトンネルで高知日赤に電話しました。




豊浜のPAでトイレに入ったところ、夜用ナプキンがべったり血に染まってたんです。それもすごい量で(>_<)でもその時は出産てこんなに血が出るものなのかしら?くらいにしか思ってなくて・・・。
何とか無事に高知日赤に到着した頃には、下腹部の痛みも激痛に変わっていました。救急車でもないし、車から自力で救急の受付へ。夜中の2時ごろでした。
カウンターで保険証を出して受付をしていると、何か足元がこそばくて・・・
足元を見ると、まるでドラマのような光景が・・・太ももから足を伝って床が血の海でした。
すぐさま看護婦さんが車椅子で産婦人科へ。パパを探すとなんと・・・!トイレにトイレットペーパー取りに行ってるんです!血をふき取るために!この期に及んで床の掃除かよっ!

すぐさま超音波を受ける準備の最中にも大出血。なんじゃこりゃ~って感じで、不安でたまらなかったです。赤ちゃんの心音も時おり弱まっていると言われてました。私は接触が悪いんじゃないの~?位にしか思ってなかったのですが・・・。
場所を変えて、陣痛を堪える部屋に移って、医師が『胎盤剥離かもしれません』
胎盤剥離とは赤ちゃんが生まれる前に胎盤がはがれてしまい大出血を起こすらしいのです。当然胎盤から栄養、酸素をもらう赤ちゃんも危険なんです。でも胎盤がはがれているかいないかは、かなり危険な状態になるまではエコーで見られないとの事。陣痛もこないし、子宮口は開いてないし自然分娩は出来ない。胎盤剥離かどうかもわからない。けどもしそうなら一刻も早く手術が必要であることを告げられ、そこでこのまま様子を見てみるか、帝王切開かの決断を迫まられました。急にそんな事言われても・・・現状を把握するのに精一杯で決断なんて・・・

っていう時に、連絡がなくて心配した母が病院に駆けつけてくれたんです。迷ってる間にも医師が両手ですくうほど出血していました。そこで母が『切れば安全なら切ってしまい』と、この一言でそうだなって思い決断しました。帝王切開で!

一度切ると、今後いきむと子宮が裂けてしまう危険性があるため自然分娩は出来ないと告げられました。おかげで?陣痛を経験することは出来ませんでした。今までとにかく健康で、妊娠6ヶ月で結婚式、新婚旅行にハワイ、バイクでオアフ島1周までするほど健康体だったのに。まさかこんなことになるなんて。

あとは緊急を要するため、バタバタでした。おしっこの管を入れられ、両腕に点滴。すべて同時に行われてます。母とパパに励まされいざ手術台へ!
初めての腰椎麻酔、そしてメス(>_<)痛みはないけど、感覚が・・・感覚があるんですけどぉ~(T_T)思わず、『感覚が・・感覚が気持ち悪いですぅ』って言ったんだけど、『急を要するから、頑張ってね』って感じでした。その切られて、内臓触られて、探られてる感触をがまんしていると・・・医師が『もうすぐ出てくるよ~』と。ぐーっとお腹を押されたあとに赤ちゃんの鳴き声が!!!

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ほんの少し顔を見せてもらっただけで、赤ちゃんは新生児室に行ってしまい、後は黙々と縫合処置。こっちのほうが長かったような。結局医師の話では『常位胎盤早期剥離』で、高知日赤では年間1人いるかいないかの数少ない危険な状態だったようです。

痛みもなく、ただ意識もうろうでした。パパと母が待っていてくれて、一緒に新生児室の前へ行って、ようやく赤ちゃんとゆっくりご対面。感激って言葉じゃ言い表せなかったです。
その後私はようやく眠れそうでしたが、カンガルーケアを行っている日赤は生まれてすぐ赤ちゃんをママの胸の上に寝かせて、おっぱいを吸わせるんです。夜中の4時5時だと思いますが、もう眠くてしんどくて・・・眠ったまま赤ちゃんを胸の上に寝かされてたように思います。

パパも母もひと段落して帰ろうとしたそうですが、後から聞いた話、あまりの出血で輸血が必要になったり、ショックを起こす可能性もありますので、帰らないでくださいと言われたそうです。
その日からは傷が痛んで動けず、コンタクトもしたままではずすのを忘れ夜中に痛くてボロボロ泣いてました。化粧も落とせないし、足についてる血もカピカピのまま・・・お腹痛いってもんじゃなくて、物も取れないし・・・結局3日目ごろ動けるようになってからの事でした。
と、長くなりましたが、今ではこんなにすくすく育ってくれてホントよかったです(*^^*)
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by anjelo2454 | 2005-09-30 10:18 | children